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今日は採血されつつ。
勉強開始しようとしてみたけれど結局何すりゃいいかわからなつつ。
ひよこにはまりつつ。
続き。
個人的には、小松さんがものすごく臓器移植に反対する理由がかなり興味ありました。
なんだかんだ言って、倫理問題言ってても
もし助かるのが自分の家族だったら、反対論者でも
優先して進めようとするんじゃないかとか思いますし。
よっぽどな理由ないと、主張するのためらいそうで。
前編の前半に書きました自己決定権ですが、
最近ではそれが自分の死についても適応されるようになった。
でも、よく考えてみれば、本来『死』というのは他人との関係があってはじめて
共鳴して成立するものだから、自分一人のものではないというのが後半の話。
それなのに、『臓器移植は命のリレー、みんなもぜひドナーになりましょう』
なんてキャンペーンが広まれば、余計に『死』が一人歩きしてしまう。
相まって、医学技術の発展に乗っかって、本当に移植でなければ助からないかどうか
明確でない病気でも、移植してみよう! よいう流れが進むとどうなるか。
ただでさえ、最近家族との関係が薄くなってきたなーなんて言われている日本では
「私が死のうが勝手でしょ」
「用のない人間は死んで臓器でもやればいい」
なんて考えが広まってしまうという。
小松先生は、どうやら生き物は一生懸命生きてしかるべきだという考えなので
許せないという。
ここらへんはいろんな対談者に反論されつつ
うまく丸め込んでいたなっていう印象。
ああそっか!とはあんまり思えなかったな。
臓器移植に反対の理由として他に。
いくら脳死といわれても、
移植医から見れば、ドナーもレシピエントも生きている、ということ。
移植ってどういう状態で行われると思いますか??
しっかりわかってるわけじゃないですが
とりあえず脳死について、wikipediaさまの定義をリンクしつつ。
私も大して考えたことなかったですし、
臓器が運搬されたところをテレビカメラが撮って病院に叱られたなんて話
この本にも載ってましたが…
取り出すときのこと。
その人、心臓動いてるんですね。
血流の止まった体からとった臓器は、なかなか活動してくれないので
こう、新鮮なうちに取り出すわけだから…
ときには、メスを入れたときにドナーの血圧が30くらい上がることもあるとか。
本来、脳死は脳幹、つまり脊髄より上のとこぜんぶ死んでしまってるわけですから
血圧の調節なんて効くわけないんですが、
普通に私たちが「痛い」と思ったときと同じ反応を起こすこともまれにあるらしい。
これってほんとに死んでいるっていえるのかな…。
ってか、心臓がどうとか、血圧がどうかって以前に
その人、あったかいんでしょうね。これもキツそう。
あと、私不勉強で初耳だったんですが、ラザロ徴候ってのがあるらしい。
ラザロ兆候:脳死判定後に人工呼吸器を外した際に
脳死患者が自発的に手や足を動かす動作のこと
ラザロの由来はキリスト神話のうち、イエスによって生き返った人の名前らしい。
ちなみに脳死判定ってのはここに4つの条件がありましたが
最後の「自発呼吸の消失」なんて、
生命維持の人工呼吸器を外してみなきゃわからない。
呼吸器外すって、家族がやっても犯罪になっちゃうんですが…
これ、時間かかるから結構体にダメージ大きいらしい。息できないから。
となると、移植のためとはいえ、なんというか
見た目どーみても生きてるなーっていう人間に対し、
こんな感じで残酷なことしなくちゃいけない…というのが
腑に落ちないとのこと。
ラザロはびっくり。
しかもそれが祈るような姿に見えるというのがまたなんとも。
意思疎通できないだけで、何か考えてるかもしれないとしたら、
脳死の患者さん以外でも、そういう病気の人いる気がするし。
最後にも一つ。
こうして、実際全身に血液を送り出す力を持つ人から臓器をとって
息の根を止めてしまうことが許され、
その臓器を、未来のある他の誰かに移し替え生き延びさせ、
すばらしい美談として世界に発信していく。
すると、結果的には、「生きる価値のない命を、生きるべき命のサポートにした」
ってことになる。
まずは、人の命の重さを比べてるのがちょっとおかしい。
まぁそうかもしれない。
あとは、
そのドナーが、自分の意思で望んだ結果だってことになるうちはいいけれど、
そのうち「生きる価値のない命」が
脳死の患者さんから、「身寄りのない寝たきりの患者さん」となり、
「重い障害がある患者さん」となっていく危険をはらんでいるということ。
ちょっと飛躍して怖がりすぎかなとも思うけれど、
さも移植をした人間がものすごくすばらしいような扱いをし続けていると、
誰かのお役に立てるならばと命が簡単に手放される可能性があるという。
そうして何かひとつが崩れ始めると、命の差別ができてしまい
どんどん狂っていく、と。
まぁ、よくわからないこともありましたが
こうして10年くらい前から警鐘を鳴らし続けている人がいるということ。
なんか最近も法改正しましたしね。
賛否両論だということ、しっかり覚えておきたいです。
私の意見としては、とにかくはやく
ES細胞、iPS細胞系の技術が発達して
自分由来の臓器が作れるようになると
とりあえず幸せになりそうかなーと。
自分は誰かの命を踏み台にして生きていける価値があるかどうかわからないけど…
突然家族がもう死にそう、移植しないとまずいかも、どうする?
と聞かれたらかなり迷いそう。
ま、難しいですね。
最後に。相当インパクトのある題名でしたが、
「人」は死んではならないの「人」ってのは
集団の一個体としての「ヒト」ではなく。
だって死なないわけないじゃんねぇ。
「人」と書いて「おまえ」と読む感じらしい。
あんた、死んでくれるな。私にはあんたが必要なんだ、
そう簡単に命を捨てないでおくれ、みたいな
願い的なことだとか。
ここで重要なのは決して「生きなければならない」っていう命令じゃなくて
まわりの人間の願いとか思いなんだとかなんとか…
いやはや、正月早々荷が重い。
まぁそんな感じで考えてましたが。
長々書いちゃいましたが
よろしければご意見待ってまーす。
医学生ブログランキングご協力感謝いたします(´-ω-`))ペコリ
勉強開始しようとしてみたけれど結局何すりゃいいかわからなつつ。
ひよこにはまりつつ。
続き。
個人的には、小松さんがものすごく臓器移植に反対する理由がかなり興味ありました。
なんだかんだ言って、倫理問題言ってても
もし助かるのが自分の家族だったら、反対論者でも
優先して進めようとするんじゃないかとか思いますし。
よっぽどな理由ないと、主張するのためらいそうで。
前編の前半に書きました自己決定権ですが、
最近ではそれが自分の死についても適応されるようになった。
でも、よく考えてみれば、本来『死』というのは他人との関係があってはじめて
共鳴して成立するものだから、自分一人のものではないというのが後半の話。
それなのに、『臓器移植は命のリレー、みんなもぜひドナーになりましょう』
なんてキャンペーンが広まれば、余計に『死』が一人歩きしてしまう。
相まって、医学技術の発展に乗っかって、本当に移植でなければ助からないかどうか
明確でない病気でも、移植してみよう! よいう流れが進むとどうなるか。
ただでさえ、最近家族との関係が薄くなってきたなーなんて言われている日本では
「私が死のうが勝手でしょ」
「用のない人間は死んで臓器でもやればいい」
なんて考えが広まってしまうという。
小松先生は、どうやら生き物は一生懸命生きてしかるべきだという考えなので
許せないという。
ここらへんはいろんな対談者に反論されつつ
うまく丸め込んでいたなっていう印象。
ああそっか!とはあんまり思えなかったな。
臓器移植に反対の理由として他に。
いくら脳死といわれても、
移植医から見れば、ドナーもレシピエントも生きている、ということ。
移植ってどういう状態で行われると思いますか??
しっかりわかってるわけじゃないですが
とりあえず脳死について、wikipediaさまの定義をリンクしつつ。
私も大して考えたことなかったですし、
臓器が運搬されたところをテレビカメラが撮って病院に叱られたなんて話
この本にも載ってましたが…
取り出すときのこと。
その人、心臓動いてるんですね。
血流の止まった体からとった臓器は、なかなか活動してくれないので
こう、新鮮なうちに取り出すわけだから…
ときには、メスを入れたときにドナーの血圧が30くらい上がることもあるとか。
本来、脳死は脳幹、つまり脊髄より上のとこぜんぶ死んでしまってるわけですから
血圧の調節なんて効くわけないんですが、
普通に私たちが「痛い」と思ったときと同じ反応を起こすこともまれにあるらしい。
これってほんとに死んでいるっていえるのかな…。
ってか、心臓がどうとか、血圧がどうかって以前に
その人、あったかいんでしょうね。これもキツそう。
あと、私不勉強で初耳だったんですが、ラザロ徴候ってのがあるらしい。
ラザロ兆候:脳死判定後に人工呼吸器を外した際に
脳死患者が自発的に手や足を動かす動作のこと
ラザロの由来はキリスト神話のうち、イエスによって生き返った人の名前らしい。
ちなみに脳死判定ってのはここに4つの条件がありましたが
最後の「自発呼吸の消失」なんて、
生命維持の人工呼吸器を外してみなきゃわからない。
呼吸器外すって、家族がやっても犯罪になっちゃうんですが…
これ、時間かかるから結構体にダメージ大きいらしい。息できないから。
となると、移植のためとはいえ、なんというか
見た目どーみても生きてるなーっていう人間に対し、
こんな感じで残酷なことしなくちゃいけない…というのが
腑に落ちないとのこと。
ラザロはびっくり。
しかもそれが祈るような姿に見えるというのがまたなんとも。
意思疎通できないだけで、何か考えてるかもしれないとしたら、
脳死の患者さん以外でも、そういう病気の人いる気がするし。
最後にも一つ。
こうして、実際全身に血液を送り出す力を持つ人から臓器をとって
息の根を止めてしまうことが許され、
その臓器を、未来のある他の誰かに移し替え生き延びさせ、
すばらしい美談として世界に発信していく。
すると、結果的には、「生きる価値のない命を、生きるべき命のサポートにした」
ってことになる。
まずは、人の命の重さを比べてるのがちょっとおかしい。
まぁそうかもしれない。
あとは、
そのドナーが、自分の意思で望んだ結果だってことになるうちはいいけれど、
そのうち「生きる価値のない命」が
脳死の患者さんから、「身寄りのない寝たきりの患者さん」となり、
「重い障害がある患者さん」となっていく危険をはらんでいるということ。
ちょっと飛躍して怖がりすぎかなとも思うけれど、
さも移植をした人間がものすごくすばらしいような扱いをし続けていると、
誰かのお役に立てるならばと命が簡単に手放される可能性があるという。
そうして何かひとつが崩れ始めると、命の差別ができてしまい
どんどん狂っていく、と。
まぁ、よくわからないこともありましたが
こうして10年くらい前から警鐘を鳴らし続けている人がいるということ。
なんか最近も法改正しましたしね。
賛否両論だということ、しっかり覚えておきたいです。
私の意見としては、とにかくはやく
ES細胞、iPS細胞系の技術が発達して
自分由来の臓器が作れるようになると
とりあえず幸せになりそうかなーと。
自分は誰かの命を踏み台にして生きていける価値があるかどうかわからないけど…
突然家族がもう死にそう、移植しないとまずいかも、どうする?
と聞かれたらかなり迷いそう。
ま、難しいですね。
最後に。相当インパクトのある題名でしたが、
「人」は死んではならないの「人」ってのは
集団の一個体としての「ヒト」ではなく。
だって死なないわけないじゃんねぇ。
「人」と書いて「おまえ」と読む感じらしい。
あんた、死んでくれるな。私にはあんたが必要なんだ、
そう簡単に命を捨てないでおくれ、みたいな
願い的なことだとか。
ここで重要なのは決して「生きなければならない」っていう命令じゃなくて
まわりの人間の願いとか思いなんだとかなんとか…
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まぁそんな感じで考えてましたが。
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無題
不器用な表現から生まれた題名…
そうとれなくもないということでしょうか?
理論や理屈を重ねると、脳死は死であるという考えが増えてきたように思います。
だけど、仕方がないけど、これは生きている人の意見しか入らないからかも。
現世というか、現実社会ではやっぱり、
生きている人を中心に考える方が合理的ということかもしれませんね。
個人的には私が脳死になるともし知っていたら、
やっぱり残された人に迷惑はかけたくないです。
だけど、死にたいと言う人は止めちゃう。
永遠に解決しないテーマだけど、ある基準で意思を保存できたらいいな。
そうとれなくもないということでしょうか?
理論や理屈を重ねると、脳死は死であるという考えが増えてきたように思います。
だけど、仕方がないけど、これは生きている人の意見しか入らないからかも。
現世というか、現実社会ではやっぱり、
生きている人を中心に考える方が合理的ということかもしれませんね。
個人的には私が脳死になるともし知っていたら、
やっぱり残された人に迷惑はかけたくないです。
だけど、死にたいと言う人は止めちゃう。
永遠に解決しないテーマだけど、ある基準で意思を保存できたらいいな。
無題
何だか最近授業と読書と友人とのダベりに忙しくて真面目な本読んでないなー。遊べるのも今のうち、好きな駄目勉強できるのも今の内と思うと、つい遊びのほうを優先してしまう。まあそれでもいいかなとどこかで思ってるからなんですが。
その本は読んだことないから、今度読んでみる!
その本は読んだことないから、今度読んでみる!
プロフィール
HN:
さー
性別:
女性
職業:
医学生兼自宅警備員
自己紹介:
にほんブログ村
さーと申します。
片田舎の医学生です。
5年生とか、
試験の受け方を忘れそう
ポリクリ残るは
外科うろぎねあたり。
ちょっと詳しい自己紹介。
このブログを通してたくさんの方から励ましていただいたり、ご意見いただいたり、人の輪が広がったり、とても楽しくてためになっております。
読んだついでに投票やコメント下さるとジャンピング土下座いたします。
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