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学校のパソコンからこんにちは。
絶望的に薬理学のやる気が見つからない筆者です。
今なんだか英語の論文を検索する授業中なのですが
一人ものすごいスピードでキーボードを叩いております。
でもWindows嫌い。わひゃー。
成人式とかいろいろやってきました。
振りそでで転びました。
おっちゃんに写真撮られました。
どうしようどっかにアップされてたら…
同窓会では中学校の友達にたくさん会いました。
個人的には若干黒歴史的な部分も多いので
あまり思い出したくないこともあるのですが
みんなにあったら、あー楽しかったなぁと思いました。
今より10kg以上太った醜態をさらしていたうえに
完全なるでしゃばりだったのでさんざん人に知られる子でした。
委員会頑張ったりピアノやったり合唱やったり部活揉めたり…
ほんとにいろいろあったなぁ。
それから先生とのつながりが大きかったかな。
会場に到着して4人全員の先生方から声掛けられた時泣きそうになった。
なんやかんや走り回ってたおかげで友達ともいっぱいしゃべったし。
今思えばよかったなぁ。
でもみんな顔とかいろいろ変わりすぎ!特に女の子!
私は例のごとく安心感係として皆様に
昔の記憶を掘り返させていただきました。
きんぱにしなくてよかった。
する気なかったけどね。
高校はどっちかというと狭いつながりと勉強ばっかしだったので
中学校のちょっと若い気分を味わいながら成人の儀を終えました。
そして終わったかと思えばあっというまに大学へ。
余韻に浸りたかったのに…
そしてやる気のない日々を送っております。
どうしようどうしよう。
自律神経とかしらん!
まぁ頑張ります。授業まだ終わんないかなー。
医学生ブログランキングご協力感謝いたします(´-ω-`))ペコリ
絶望的に薬理学のやる気が見つからない筆者です。
今なんだか英語の論文を検索する授業中なのですが
一人ものすごいスピードでキーボードを叩いております。
でもWindows嫌い。わひゃー。
成人式とかいろいろやってきました。
振りそでで転びました。
おっちゃんに写真撮られました。
どうしようどっかにアップされてたら…
同窓会では中学校の友達にたくさん会いました。
個人的には若干黒歴史的な部分も多いので
あまり思い出したくないこともあるのですが
みんなにあったら、あー楽しかったなぁと思いました。
今より10kg以上太った醜態をさらしていたうえに
完全なるでしゃばりだったのでさんざん人に知られる子でした。
委員会頑張ったりピアノやったり合唱やったり部活揉めたり…
ほんとにいろいろあったなぁ。
それから先生とのつながりが大きかったかな。
会場に到着して4人全員の先生方から声掛けられた時泣きそうになった。
なんやかんや走り回ってたおかげで友達ともいっぱいしゃべったし。
今思えばよかったなぁ。
でもみんな顔とかいろいろ変わりすぎ!特に女の子!
私は例のごとく安心感係として皆様に
昔の記憶を掘り返させていただきました。
きんぱにしなくてよかった。
する気なかったけどね。
高校はどっちかというと狭いつながりと勉強ばっかしだったので
中学校のちょっと若い気分を味わいながら成人の儀を終えました。
そして終わったかと思えばあっというまに大学へ。
余韻に浸りたかったのに…
そしてやる気のない日々を送っております。
どうしようどうしよう。
自律神経とかしらん!
まぁ頑張ります。授業まだ終わんないかなー。
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今日温泉いったら
受付の無愛想なおばちゃんに聞かれた。
答えた。
そろそろ成人です。
どうも筆者です。
結構私の外見年齢が
中学生だの幼稚園児だの胎児だのネタで言ってることも多かったんだが
今日は本物だった。どうしよう。
ちなみに小学生の場合入浴料が200円安くなった。
…こんちきしょう。
生化学がまさかの学年半分落とし。
例年下から10番に入らなきゃ大丈夫だって言ってたじゃんか先輩!!
やー危なかった。
本気で勉強量一番少なかったからなぁ…。
そして薬理が意味わからん。みんななにしてんだろ?
某団体からの配給を待つ日々です。ぎぶみーちょこれーと!
とりあえずゴロのページめっけた。使えるのだろうか。
薬剤師国家試験語呂データベース
トロリーバス不明!
生化学にもいいのいっぱいあったよ。
もうそろそろ成人式ですね。
なんか変わってなさすぎてほんと恥ずかしいな。
当日だけきんぱとかにならないかな私の髪の毛。
あとそういえばついに昔のブログが消滅した。寂しい限りです。
今後まず移ることは考えてないので、
リンクいっぱい作って交流したいな!!
医学生ブログランキングご協力感謝いたします(´-ω-`))ペコリ
受付の無愛想なおばちゃんに聞かれた。
答えた。
そろそろ成人です。
どうも筆者です。
結構私の外見年齢が
中学生だの幼稚園児だの胎児だのネタで言ってることも多かったんだが
今日は本物だった。どうしよう。
ちなみに小学生の場合入浴料が200円安くなった。
…こんちきしょう。
生化学がまさかの学年半分落とし。
例年下から10番に入らなきゃ大丈夫だって言ってたじゃんか先輩!!
やー危なかった。
本気で勉強量一番少なかったからなぁ…。
そして薬理が意味わからん。みんななにしてんだろ?
某団体からの配給を待つ日々です。ぎぶみーちょこれーと!
とりあえずゴロのページめっけた。使えるのだろうか。
薬剤師国家試験語呂データベース
トロリーバス不明!
生化学にもいいのいっぱいあったよ。
もうそろそろ成人式ですね。
なんか変わってなさすぎてほんと恥ずかしいな。
当日だけきんぱとかにならないかな私の髪の毛。
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今後まず移ることは考えてないので、
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今日は採血されつつ。
勉強開始しようとしてみたけれど結局何すりゃいいかわからなつつ。
ひよこにはまりつつ。
続き。
個人的には、小松さんがものすごく臓器移植に反対する理由がかなり興味ありました。
なんだかんだ言って、倫理問題言ってても
もし助かるのが自分の家族だったら、反対論者でも
優先して進めようとするんじゃないかとか思いますし。
よっぽどな理由ないと、主張するのためらいそうで。
前編の前半に書きました自己決定権ですが、
最近ではそれが自分の死についても適応されるようになった。
でも、よく考えてみれば、本来『死』というのは他人との関係があってはじめて
共鳴して成立するものだから、自分一人のものではないというのが後半の話。
それなのに、『臓器移植は命のリレー、みんなもぜひドナーになりましょう』
なんてキャンペーンが広まれば、余計に『死』が一人歩きしてしまう。
相まって、医学技術の発展に乗っかって、本当に移植でなければ助からないかどうか
明確でない病気でも、移植してみよう! よいう流れが進むとどうなるか。
ただでさえ、最近家族との関係が薄くなってきたなーなんて言われている日本では
「私が死のうが勝手でしょ」
「用のない人間は死んで臓器でもやればいい」
なんて考えが広まってしまうという。
小松先生は、どうやら生き物は一生懸命生きてしかるべきだという考えなので
許せないという。
ここらへんはいろんな対談者に反論されつつ
うまく丸め込んでいたなっていう印象。
ああそっか!とはあんまり思えなかったな。
臓器移植に反対の理由として他に。
いくら脳死といわれても、
移植医から見れば、ドナーもレシピエントも生きている、ということ。
移植ってどういう状態で行われると思いますか??
しっかりわかってるわけじゃないですが
とりあえず脳死について、wikipediaさまの定義をリンクしつつ。
私も大して考えたことなかったですし、
臓器が運搬されたところをテレビカメラが撮って病院に叱られたなんて話
この本にも載ってましたが…
取り出すときのこと。
その人、心臓動いてるんですね。
血流の止まった体からとった臓器は、なかなか活動してくれないので
こう、新鮮なうちに取り出すわけだから…
ときには、メスを入れたときにドナーの血圧が30くらい上がることもあるとか。
本来、脳死は脳幹、つまり脊髄より上のとこぜんぶ死んでしまってるわけですから
血圧の調節なんて効くわけないんですが、
普通に私たちが「痛い」と思ったときと同じ反応を起こすこともまれにあるらしい。
これってほんとに死んでいるっていえるのかな…。
ってか、心臓がどうとか、血圧がどうかって以前に
その人、あったかいんでしょうね。これもキツそう。
あと、私不勉強で初耳だったんですが、ラザロ徴候ってのがあるらしい。
ラザロ兆候:脳死判定後に人工呼吸器を外した際に
脳死患者が自発的に手や足を動かす動作のこと
ラザロの由来はキリスト神話のうち、イエスによって生き返った人の名前らしい。
ちなみに脳死判定ってのはここに4つの条件がありましたが
最後の「自発呼吸の消失」なんて、
生命維持の人工呼吸器を外してみなきゃわからない。
呼吸器外すって、家族がやっても犯罪になっちゃうんですが…
これ、時間かかるから結構体にダメージ大きいらしい。息できないから。
となると、移植のためとはいえ、なんというか
見た目どーみても生きてるなーっていう人間に対し、
こんな感じで残酷なことしなくちゃいけない…というのが
腑に落ちないとのこと。
ラザロはびっくり。
しかもそれが祈るような姿に見えるというのがまたなんとも。
意思疎通できないだけで、何か考えてるかもしれないとしたら、
脳死の患者さん以外でも、そういう病気の人いる気がするし。
最後にも一つ。
こうして、実際全身に血液を送り出す力を持つ人から臓器をとって
息の根を止めてしまうことが許され、
その臓器を、未来のある他の誰かに移し替え生き延びさせ、
すばらしい美談として世界に発信していく。
すると、結果的には、「生きる価値のない命を、生きるべき命のサポートにした」
ってことになる。
まずは、人の命の重さを比べてるのがちょっとおかしい。
まぁそうかもしれない。
あとは、
そのドナーが、自分の意思で望んだ結果だってことになるうちはいいけれど、
そのうち「生きる価値のない命」が
脳死の患者さんから、「身寄りのない寝たきりの患者さん」となり、
「重い障害がある患者さん」となっていく危険をはらんでいるということ。
ちょっと飛躍して怖がりすぎかなとも思うけれど、
さも移植をした人間がものすごくすばらしいような扱いをし続けていると、
誰かのお役に立てるならばと命が簡単に手放される可能性があるという。
そうして何かひとつが崩れ始めると、命の差別ができてしまい
どんどん狂っていく、と。
まぁ、よくわからないこともありましたが
こうして10年くらい前から警鐘を鳴らし続けている人がいるということ。
なんか最近も法改正しましたしね。
賛否両論だということ、しっかり覚えておきたいです。
私の意見としては、とにかくはやく
ES細胞、iPS細胞系の技術が発達して
自分由来の臓器が作れるようになると
とりあえず幸せになりそうかなーと。
自分は誰かの命を踏み台にして生きていける価値があるかどうかわからないけど…
突然家族がもう死にそう、移植しないとまずいかも、どうする?
と聞かれたらかなり迷いそう。
ま、難しいですね。
最後に。相当インパクトのある題名でしたが、
「人」は死んではならないの「人」ってのは
集団の一個体としての「ヒト」ではなく。
だって死なないわけないじゃんねぇ。
「人」と書いて「おまえ」と読む感じらしい。
あんた、死んでくれるな。私にはあんたが必要なんだ、
そう簡単に命を捨てないでおくれ、みたいな
願い的なことだとか。
ここで重要なのは決して「生きなければならない」っていう命令じゃなくて
まわりの人間の願いとか思いなんだとかなんとか…
いやはや、正月早々荷が重い。
まぁそんな感じで考えてましたが。
長々書いちゃいましたが
よろしければご意見待ってまーす。
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勉強開始しようとしてみたけれど結局何すりゃいいかわからなつつ。
ひよこにはまりつつ。
続き。
個人的には、小松さんがものすごく臓器移植に反対する理由がかなり興味ありました。
なんだかんだ言って、倫理問題言ってても
もし助かるのが自分の家族だったら、反対論者でも
優先して進めようとするんじゃないかとか思いますし。
よっぽどな理由ないと、主張するのためらいそうで。
前編の前半に書きました自己決定権ですが、
最近ではそれが自分の死についても適応されるようになった。
でも、よく考えてみれば、本来『死』というのは他人との関係があってはじめて
共鳴して成立するものだから、自分一人のものではないというのが後半の話。
それなのに、『臓器移植は命のリレー、みんなもぜひドナーになりましょう』
なんてキャンペーンが広まれば、余計に『死』が一人歩きしてしまう。
相まって、医学技術の発展に乗っかって、本当に移植でなければ助からないかどうか
明確でない病気でも、移植してみよう! よいう流れが進むとどうなるか。
ただでさえ、最近家族との関係が薄くなってきたなーなんて言われている日本では
「私が死のうが勝手でしょ」
「用のない人間は死んで臓器でもやればいい」
なんて考えが広まってしまうという。
小松先生は、どうやら生き物は一生懸命生きてしかるべきだという考えなので
許せないという。
ここらへんはいろんな対談者に反論されつつ
うまく丸め込んでいたなっていう印象。
ああそっか!とはあんまり思えなかったな。
臓器移植に反対の理由として他に。
いくら脳死といわれても、
移植医から見れば、ドナーもレシピエントも生きている、ということ。
移植ってどういう状態で行われると思いますか??
しっかりわかってるわけじゃないですが
とりあえず脳死について、wikipediaさまの定義をリンクしつつ。
私も大して考えたことなかったですし、
臓器が運搬されたところをテレビカメラが撮って病院に叱られたなんて話
この本にも載ってましたが…
取り出すときのこと。
その人、心臓動いてるんですね。
血流の止まった体からとった臓器は、なかなか活動してくれないので
こう、新鮮なうちに取り出すわけだから…
ときには、メスを入れたときにドナーの血圧が30くらい上がることもあるとか。
本来、脳死は脳幹、つまり脊髄より上のとこぜんぶ死んでしまってるわけですから
血圧の調節なんて効くわけないんですが、
普通に私たちが「痛い」と思ったときと同じ反応を起こすこともまれにあるらしい。
これってほんとに死んでいるっていえるのかな…。
ってか、心臓がどうとか、血圧がどうかって以前に
その人、あったかいんでしょうね。これもキツそう。
あと、私不勉強で初耳だったんですが、ラザロ徴候ってのがあるらしい。
ラザロ兆候:脳死判定後に人工呼吸器を外した際に
脳死患者が自発的に手や足を動かす動作のこと
ラザロの由来はキリスト神話のうち、イエスによって生き返った人の名前らしい。
ちなみに脳死判定ってのはここに4つの条件がありましたが
最後の「自発呼吸の消失」なんて、
生命維持の人工呼吸器を外してみなきゃわからない。
呼吸器外すって、家族がやっても犯罪になっちゃうんですが…
これ、時間かかるから結構体にダメージ大きいらしい。息できないから。
となると、移植のためとはいえ、なんというか
見た目どーみても生きてるなーっていう人間に対し、
こんな感じで残酷なことしなくちゃいけない…というのが
腑に落ちないとのこと。
ラザロはびっくり。
しかもそれが祈るような姿に見えるというのがまたなんとも。
意思疎通できないだけで、何か考えてるかもしれないとしたら、
脳死の患者さん以外でも、そういう病気の人いる気がするし。
最後にも一つ。
こうして、実際全身に血液を送り出す力を持つ人から臓器をとって
息の根を止めてしまうことが許され、
その臓器を、未来のある他の誰かに移し替え生き延びさせ、
すばらしい美談として世界に発信していく。
すると、結果的には、「生きる価値のない命を、生きるべき命のサポートにした」
ってことになる。
まずは、人の命の重さを比べてるのがちょっとおかしい。
まぁそうかもしれない。
あとは、
そのドナーが、自分の意思で望んだ結果だってことになるうちはいいけれど、
そのうち「生きる価値のない命」が
脳死の患者さんから、「身寄りのない寝たきりの患者さん」となり、
「重い障害がある患者さん」となっていく危険をはらんでいるということ。
ちょっと飛躍して怖がりすぎかなとも思うけれど、
さも移植をした人間がものすごくすばらしいような扱いをし続けていると、
誰かのお役に立てるならばと命が簡単に手放される可能性があるという。
そうして何かひとつが崩れ始めると、命の差別ができてしまい
どんどん狂っていく、と。
まぁ、よくわからないこともありましたが
こうして10年くらい前から警鐘を鳴らし続けている人がいるということ。
なんか最近も法改正しましたしね。
賛否両論だということ、しっかり覚えておきたいです。
私の意見としては、とにかくはやく
ES細胞、iPS細胞系の技術が発達して
自分由来の臓器が作れるようになると
とりあえず幸せになりそうかなーと。
自分は誰かの命を踏み台にして生きていける価値があるかどうかわからないけど…
突然家族がもう死にそう、移植しないとまずいかも、どうする?
と聞かれたらかなり迷いそう。
ま、難しいですね。
最後に。相当インパクトのある題名でしたが、
「人」は死んではならないの「人」ってのは
集団の一個体としての「ヒト」ではなく。
だって死なないわけないじゃんねぇ。
「人」と書いて「おまえ」と読む感じらしい。
あんた、死んでくれるな。私にはあんたが必要なんだ、
そう簡単に命を捨てないでおくれ、みたいな
願い的なことだとか。
ここで重要なのは決して「生きなければならない」っていう命令じゃなくて
まわりの人間の願いとか思いなんだとかなんとか…
いやはや、正月早々荷が重い。
まぁそんな感じで考えてましたが。
長々書いちゃいましたが
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突然関係ないけど三文堂のひよこにはまった。
母からは気持ち悪いと完全に不評。
個人的にはもい鳥に継ぐヒットかも。
ひよっこというとどうしても(・e・)なのだが(・8・)でもかわいいのー。
あるいは(・ë・)か。鳥類哀れみの令。
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母からは気持ち悪いと完全に不評。
個人的にはもい鳥に継ぐヒットかも。
ひよっこというとどうしても(・e・)なのだが(・8・)でもかわいいのー。
あるいは(・ë・)か。鳥類哀れみの令。
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どうもこんばんわ手帳買ったぜ私です。
ブログ移転したわりには前のやつがまだ生きてやがる…
だったら変える必要なかったんじゃないか!?
なんかこれ読むのすごく時間かかった…
人は死んではならない 小松美彦
心臓移植の子を応援する旨の記事を書いたときに某友人から紹介された先生の本。
それなりにれびゅってみますが何か思うところがあれば
彼が修正にきてくれるでしょうw
しかしねむい!
中身も深いし多いしどぎゃーなので前編ってことにする!
しっかし衝撃的な題名。年明けにこれ読んでた私って。
「死んではならない」って。いや死ぬし。
前著作の「死は共鳴する」ってのが根底にあってのこの本ですし
発刊も2002年とまあちっとばかし古いので
順番やらなんやら、間違えたものが多いかも。でも気にしない。
まず、小松先生は理学系の方で、科学史・生命倫理学の教授。
対談のお相手は、
内科医、精神科医、法学部出身評論家、社会学者、作家、哲学者、宗教学者。
なんというてんこもり。
小松先生は、とにかく臓器移植反対派。
あと、論じ方は理系っぽいのですが、考えてらっしゃるのはどうも
哲学的というかイメージしにくいというか。
原因は、死について話しているというのと、
この本で喋る人も私も死んだことがないっていうことw
そりゃそうだ、わかるわけねーやみたいなテンションで読んでました。
なので読み間違えあるかも。てかしんどかった。
何故か平均点どん底の年のセンターの評論文思い出した。
実際お話聞けばもっとわかるのかしら。
臓器移植を考えると、死の線引きの問題になり、
死の問題になると、老人や障害者の問題になり、
優生学、出生前診断やら死刑問題にまでどんどん飛び火して…と、
わかってたはずなのに、さらに深いこの問題に驚かされる。
なるほどなーと思ったのが結構あったんですが、
まずひとつは「自己決定権」。
今、日本の臓器移植のスタンスは、
「普通は心臓止まったら死ぬってことになってるけど、
移植するんだったら脳死したら死んだってことにしますね」
ということらしい。変わってたらすいません。
てなわけで、今、「死」には2種類あるわけで
それをどっちか選べる、つまりその人には「決定権」が生まれる。
この自己決定の話には、「尊厳死」も含まれる。
普通に考えれば何の問題もない。
自分の命なんだから、管だらけになっても生きたい人は生きればいいし、
そうでない人は、死を望む権利があっても今の時代はおかしくない。
語弊はあるにしろ、こんな感じの考え方の人が多いと思う。
ただ、ここで問題になるのは『自己決定ができない人』。
精神疾患や障害をもつ人。
この場合、基本的には親が彼らの意思を代わりに表明する。
となると、彼らの命は保護者に託されてしまう。
これではとうてい『自己』決定とはいえない。
また、自己決定といいながらも、厳密には自分の意志でないこともある、ということ。
年老いた親が、我が子が看病にいそしむ姿や、経済的に困窮する姿を見て
はやく楽にしてあげたい、自分も楽になってしまいたいと
死を望む姿が見られる。
これは、最終的には本人の意思だけれども、
まわりに気を使った結果で、本人の生き物としての
「生きたい」という意思が押し込められてしまっている、という主張。
なるほろ。
もっと自由に、意思にそった医療をというのが最近の流れっぽいけれど
自由が増えれば増えるほど、意思を表明できない人間、その周囲の人間が
めんどくさい目に遭う。気づきませんでした。
あと今日のうちにもひとつ。
この先生方いわく、「死」と「死ぬ」には違いがあると。
「死ぬ」は「生まれる」の対極点にあり、
生理学的に言えば、
その心臓が止まったってときや、脳死の場合は脳幹の働きがなくなったってときのこと。
つまり時間軸上に点として乗っかる。
でも、「死」は、点では表せないらしい。
死んだ人の人格や肉体や、思念、すべてが
失われてはじめて誰かの心に何かを残して、
ああ、あの人は自分にこんなことを教えてくれたんだ、とか
じゃなけりゃ、あんなやつ死んじまってよかった!とか
どんなもんでもいいから他人の心に響く、つまり共鳴してこそ
できあがるんだそうで。
それが前著の「死は共鳴する」って意味…なのかな。
情けないことに私の読解力はこんなものです。。。
こうやってみてくと、ほんとに医療問題深く突っ込んじゃうと
どうしても宗教とか哲学とか思想とか、そっちいっちゃうのね。
でも別に1つにはまらなきゃいいわけで、
そこそこ広く浅く知識がないとキツそうだってことがわかりました。
前もこんなこと言ってた気もしますすいません私育ってない!
明日後半書くか…。おやすみ。
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だったら変える必要なかったんじゃないか!?
なんかこれ読むのすごく時間かかった…
人は死んではならない 小松美彦
心臓移植の子を応援する旨の記事を書いたときに某友人から紹介された先生の本。
それなりにれびゅってみますが何か思うところがあれば
彼が修正にきてくれるでしょうw
しかしねむい!
中身も深いし多いしどぎゃーなので前編ってことにする!
しっかし衝撃的な題名。年明けにこれ読んでた私って。
「死んではならない」って。いや死ぬし。
前著作の「死は共鳴する」ってのが根底にあってのこの本ですし
発刊も2002年とまあちっとばかし古いので
順番やらなんやら、間違えたものが多いかも。でも気にしない。
まず、小松先生は理学系の方で、科学史・生命倫理学の教授。
対談のお相手は、
内科医、精神科医、法学部出身評論家、社会学者、作家、哲学者、宗教学者。
なんというてんこもり。
小松先生は、とにかく臓器移植反対派。
あと、論じ方は理系っぽいのですが、考えてらっしゃるのはどうも
哲学的というかイメージしにくいというか。
原因は、死について話しているというのと、
この本で喋る人も私も死んだことがないっていうことw
そりゃそうだ、わかるわけねーやみたいなテンションで読んでました。
なので読み間違えあるかも。てかしんどかった。
何故か平均点どん底の年のセンターの評論文思い出した。
実際お話聞けばもっとわかるのかしら。
臓器移植を考えると、死の線引きの問題になり、
死の問題になると、老人や障害者の問題になり、
優生学、出生前診断やら死刑問題にまでどんどん飛び火して…と、
わかってたはずなのに、さらに深いこの問題に驚かされる。
なるほどなーと思ったのが結構あったんですが、
まずひとつは「自己決定権」。
今、日本の臓器移植のスタンスは、
「普通は心臓止まったら死ぬってことになってるけど、
移植するんだったら脳死したら死んだってことにしますね」
ということらしい。変わってたらすいません。
てなわけで、今、「死」には2種類あるわけで
それをどっちか選べる、つまりその人には「決定権」が生まれる。
この自己決定の話には、「尊厳死」も含まれる。
普通に考えれば何の問題もない。
自分の命なんだから、管だらけになっても生きたい人は生きればいいし、
そうでない人は、死を望む権利があっても今の時代はおかしくない。
語弊はあるにしろ、こんな感じの考え方の人が多いと思う。
ただ、ここで問題になるのは『自己決定ができない人』。
精神疾患や障害をもつ人。
この場合、基本的には親が彼らの意思を代わりに表明する。
となると、彼らの命は保護者に託されてしまう。
これではとうてい『自己』決定とはいえない。
また、自己決定といいながらも、厳密には自分の意志でないこともある、ということ。
年老いた親が、我が子が看病にいそしむ姿や、経済的に困窮する姿を見て
はやく楽にしてあげたい、自分も楽になってしまいたいと
死を望む姿が見られる。
これは、最終的には本人の意思だけれども、
まわりに気を使った結果で、本人の生き物としての
「生きたい」という意思が押し込められてしまっている、という主張。
なるほろ。
もっと自由に、意思にそった医療をというのが最近の流れっぽいけれど
自由が増えれば増えるほど、意思を表明できない人間、その周囲の人間が
めんどくさい目に遭う。気づきませんでした。
あと今日のうちにもひとつ。
この先生方いわく、「死」と「死ぬ」には違いがあると。
「死ぬ」は「生まれる」の対極点にあり、
生理学的に言えば、
その心臓が止まったってときや、脳死の場合は脳幹の働きがなくなったってときのこと。
つまり時間軸上に点として乗っかる。
でも、「死」は、点では表せないらしい。
死んだ人の人格や肉体や、思念、すべてが
失われてはじめて誰かの心に何かを残して、
ああ、あの人は自分にこんなことを教えてくれたんだ、とか
じゃなけりゃ、あんなやつ死んじまってよかった!とか
どんなもんでもいいから他人の心に響く、つまり共鳴してこそ
できあがるんだそうで。
それが前著の「死は共鳴する」って意味…なのかな。
情けないことに私の読解力はこんなものです。。。
こうやってみてくと、ほんとに医療問題深く突っ込んじゃうと
どうしても宗教とか哲学とか思想とか、そっちいっちゃうのね。
でも別に1つにはまらなきゃいいわけで、
そこそこ広く浅く知識がないとキツそうだってことがわかりました。
前もこんなこと言ってた気もしますすいません私育ってない!
明日後半書くか…。おやすみ。
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プロフィール
HN:
さー
性別:
女性
職業:
医学生兼自宅警備員
自己紹介:
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さーと申します。
片田舎の医学生です。
5年生とか、
試験の受け方を忘れそう
ポリクリ残るは
外科うろぎねあたり。
ちょっと詳しい自己紹介。
このブログを通してたくさんの方から励ましていただいたり、ご意見いただいたり、人の輪が広がったり、とても楽しくてためになっております。
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