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 片田舎無鉄砲医学生6年、さーの日記とか載ってます。
 弓がーる四段
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3日目も朝っぱらから分科会行ってまいりました。
会場玄関はこんな感じでした。夜だけど。
200808151627032

ひとつめは『反疾病自己責任論』でした。
プレゼンはこんな感じです。
200808151627032

何やら難しそうですが要するに
「あんたが体調管理しなかったから病気なったんでしょ」
という考え方で、医療費を抑制するかも…みたいな論法に反しよう!というもんです。
具体的にはトラックの運ちゃんがひどい糖尿病で
自己管理もできていなかったのですが
仲良くなった主治医がトラック乗せてよ!と言ったところ
20時間の連続勤務で缶コーヒーばかり飲んでばかりの生活を続けていたせいだと
後にわかった、これを個人の食生活の不摂生と片付けられますか?
っていう例が出されていました。確かにね。
かといって責任は誰に行くのか? 個人じゃないとしたら国か?
まず成人病から生活習慣病に名前を変えた国の意図が
生活習慣を変えれば病気にかからないかもしれませんよ なのか
生活習慣のせいで病気になるのですよ なのかどっちかってことでした。
国の方針で個人に責任を押し付けるのもなんですし
個人の行動いちいちに国が悪いなどとも言ってられませんよね。
こんなことよりは医療者側としてなかなか病気治さない人を
ただ叱りつけるだけじゃなく背景をちょっと気にしてあげる余裕を
持つべきだって結論に導いた方がいい気がしましたが。
次には今度こそフィリピン人看護士さんたちの受け入れについての
分科会に行きました。今度こそね。
まず、看護資産不足に助力できて異文化受け入れの先駆けになるかな、という
わりかし楽観的に考え、ただし
高齢者の患者さんとの対応は難しいかなぁ〜なんて言ってました。
でも、プレゼン聞いてびっくりしました。
国の方針は「異文化交流が主目的であって、看護師不足なんて知りません」
みたいな感じだと言うのです。えー。
交流したいなら看護士さんじゃなくていいじゃん!!!
しかも日本へ来てくださるフィリピンの方々は
6ヶ月の詰め込み勉強の上、日本の国家試験は一発勝負で、
結局のところ1ヶ月の給料で自国の1年分が稼げるって言うらしくて。
優秀な人材を輸出して外貨を増やして日本の医療従事者不足をなんとかしよう
なんていう裏の事情がちらほらしてますかね。
よっぽど日本の受け入れ態勢がしっかりしていない限り
海外からの人材受け入れは難しそうだということがわかりました。
ところでですがSGDで知り合った今看護学校の編入生の方で
国境なき医師団スタッフにもいたことがあるという豊かな経験の方と
お話しすることができました。
やっぱりあっちこっち回ってきた人のお話は充実してます。
医ゼミは普段学校にはいない方に出会えるのがいいです。

講演会は医療再生っぽいお話でしたが…
すいませんわからない部分も多々ありました。
とりあえず自分ならどういう手助けができるかって事で、
医ゼミの存在を知らしめるとか、新聞に投書するとか、
友達をたくさん作り、医療問題を話して、
将来いろんなコネを作るとかありましたがww
私はBlogによる情報発信をあげちゃいました笑
でもみんな興味なさそうなんですよね。しょんぼり。
知り合った人たちにもっと見てほしいですな。来年からは特に。
どうすればいいのでしょう。
まぁでも学生が無力だなんて私は思いません。
職業に就いてないからこそ自由がたくさんありますし、
同僚じゃなくて友達としてざっくばらんな話ができる。
今のうちに多くをやっておかなきゃ! と思っています。

夜の交流会は学年別でした。
「え、医学科……看護学性だと思った〜汗」
って、どうとらえればいいんですか。喜びますか悲しみますかっ。
かわゆす&大人っぽいすてきな女の子多いですよ私は何なんでしょう。
とりあえず知り合い増えました。やったね。

あとなんかお誕生日の人がいたみたいです。
20歳おめでとうございます。
ずるいよこんな素晴らしい演出!!
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いつも誕生日が冬休み明けの最初の休日にかぶってへこんでいたさーでした。

さあ明日は最終日。
諸事情でものすごく寝不足なのが不安要素。
友達をプラスαして無事実家に帰ろう!! 頑張れ自分!!!



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だいごじゅういっかいぜんこくいがくせいぜみなーるいんぐんま
2日目も無事に終わりました。
本日の会場は県民会館。
…なんか変わったとこでした。
と思ったらかつてショッピングセンターだったという(/・ω・)/
カラフルでかわいい部分あったりしまして。
随所に無駄な階段があるのはいただけません。
朝に段ボール運んだら発汗死しそうになりましたって嘘ですが。

それはそうと人生初分科会でしたよ私。
分科会って、知識増やすだけじゃなくて
あとできちんと話し合いして消化するのがいいんですね。
やっぱりその方が印象残りますし
自分以外の考え方を手に入れられます。
それに発表者側につっこみを入れる機会も多いです。
ディスカッション苦手って人もいるかとは思いますが
私にとっては楽しく、為になるものでした。

記念すべき最初には産婦人科医の不足問題に行きました。
最初は分科会提供者が解説をしてください、
そしてグループに分かれてディベート後
KJ法で模造紙にぺたぺたしました。
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KJが日本人の名前のイニシャルだって初めて知ってちょっと笑いました。
"患者教育"なんて言葉まででてきちゃいましたが
やっぱり患者さんとお医者さんの信頼関係がつくれる環境が
必要なんだということに落ち着きました。
その為にはお医者の数が必要ですしもちろん医療費の余裕も必要ですし、
患者さんの意識変革も必要なわけです。
これもあとでなんとかまとめようとは思いますが汗
とりあえず医療災害と医療過誤の違いは広く認知されるべきってことでした。
私だって我が身とか友人とかの身に思いがけず何か起きたら
災害だろうが過誤だろうが知らないけどもしやなにかマズかったんじゃないか…
と思っちゃうかも知れませんがね。

お次は異文化看護のとこにいきました。
ぶっちゃけ看護師さんが異文化=外国人のやつかと思っていたら
患者さんが外国人ってことで若干予想外な感じで始まっちゃいました。
一番おもしろかったのは痛みの表現です。
言われてみれば、"ちくちく痛い"と"ちくりと痛い"ってニュアンス違いますけど
英語でそんな感じで言われても絶対わからん(/・ω・)/
説明しろって言われてもいちいち面倒ですしねぇ。
でも痛みってのはその人だけのもので
伝えてくれなきゃわからないので
治療方針決めかねるみたいです。
刺すような痛みとか鈍痛とかきっと全然違うはず。
そんで通じない場合どうするかってっと
ものさしの1から10まで示して10段階でどのくらいかとか、
顔の絵を描いてどれくらいとかで聞くらしいです。
そこらへんはどうやら看護師さんたちが頑張るらしいのですが
ちゃんと知っておいた方がいいなと思います。
せっかく医ゼミ来たので知ってる問題を話し合うのもいいですが
普段リサーチしようと思わない看護師さんたちの話なんかも
すごく為になるんだとわかりました。

午後はガン医療のお話3本立て。
200808151627032

眠くて大変なところもありましたが
最後の上原さんのお話が一番印象的でした。
ご自身の闘病体験を新聞記者らしく人を引きつけるようにお話くださいました。
一番いろいろ考えたのは告知のシーンでした。

"上原さん、ここ見てください。腫瘍があります"
"…はい、わかります"
"…この腫瘍は悪性の可能性が高いです"
"…悪性腫瘍ですか"
"その通りです"
"……つまり、ガンですか?"
"はい、そうです。ガンの可能性があります"

上原さんは、自分の中でガンだという結論を導き出したのが
クッションになったとおっしゃいました。
確かに"ガンです"と言われてしまっては
あまりのショックにあとのことがわからなくなりそうですし
かといって自分の中で認めてしまったら
逃げようがなくなってしまう怖さもあります。
どんな告知がいいのか人によるのでしょうが、
上原さんが思うに主治医の先生は上原さんをよく見て
これがいいと考えたのではないかということです。
こんな繊細な観察能力が必要かと思うと
ちょっと自信なくなります(・ω・;)
そして告知の後に、
"この腫瘍は治る可能性が十分あります。私たちは全力を尽くして見せます。上原さんも頑張ってください"
と言ったそうです。
これがなかったら印象がまた変わってきますよね。

公演後にはまたまたSGD。
ガン患者さん含めて末期の方への接し方、緩和医療についての話から、
私の個人的希望で聞いちゃうことまでありました。
これも後でまとめなきゃです。

交流会ではいろんな子と知り合えました。
また明日も仲良くできたらいいです。


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20080812211553
全国医ゼミついにスタートしましたです(〇゜д゜)d
1日目の会場は駅から歩いて5分ほどの前橋市市民文化会館。
ちょい古いですがきれいめなホールでした。
座席は500くらいあったかな?わからんけど。

開会式はプロジェクターとの戦い。
オープニングムービーなんとかなりました!!安心です。
あとで調子乗ってブログにあげちゃいますかね。1日の命じゃ寂しいですし。

今日のメインは村上智彦氏の講演。
夕張の市立病院の再建の責任者の方です。なんとなんと。
テレビやらなんやらにて夕張の崩壊はかわいそうだという視線を完全否定されてました。
そして時には過激な言葉を使って、
医療再生の説明(+夕張の宣伝笑)してくださいました。
講義録にはならないかもしれませんが言ってらしたことをつらつらと書いてみますかね。
感想としては、まあいろいろあったのですが
一つ、正しいと思ったことをしっかり主張して時には患者さんを叱ることも必要だということでして。
あと患者本位の医療と患者様のわがままどおりの医療の違いを考えました。
なんでもかんでも言うこと聞いてちゃ崩壊しちゃうのですね。
いろいろ考えましたよ初日から楽しいです。
講演後にはスモールグループディスカッション略してSGDをしました。

というわけで後ほどネットできる環境で追記しますかね。
なんだかんだで今ちょうど2日目が終わったという笑
さあ今からなんのお仕事があるのでしょうかね。がんばりますよ(´з`)

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全準が全国準備じゃなくて事前準備の前準かと思っていた勘違い女のさーです。
とりあえず群馬に行けなくなりそうでどきどきして
群馬について一人でホテルに着いてやったぜ自分と思っていたら宿泊場所がホテルじゃなかったっていうオチをかまして大迷惑かけました。
ごめんなさい…。

毎日更新するとかほざいておきながら全然ですな。
ネットにつなげても全然違うお仕事してたのが理由ですが。
私、オープニングムービーつくりましたよ。頑張りましたよ。
3時までかかったせいで次の日ぐだぐだで花火大会にも行かずにぐっすりでしたよ。
そんなこんなでさきほどやっとこさムービーが完成しまして
今はちょっとの暇時間を見つけて更新してるわけですさ。
レポートも全部終わったし、周りも見えてきました。
明日から本番! 頑張っていきたいです[emoji:465]

現地の様子はこんなです。
最初はカオスに見えましたが今では忙しいですがいい場所です。

http://blog4.petitmall.jp/h/hiyokohiyoko/file/080810_1308~0002.jpg<br />

http://blog4.petitmall.jp/h/hiyokohiyoko/file/080810_1308~0001.jpg<br />

左側にあるTシャツとタオル、買っちゃいました。


http://blog4.petitmall.jp/h/hiyokohiyoko/file/080810_1604~0001.jpg<br />

これはお土産用。


かわいいお馬ちゃんの名前はぐーにぃといいます。
群馬なのにぐーみぃではありません。注意しましょう。
別に私が間違ったわけではありませんよ。

さぁ、本番楽しむしかないですね。次のお仕事は何だろう。

あ、個人的なことですが今ブログランキングにアクセスできなくなっていて泣きそうなので誰か私の代わりにクリックお願いします切実に!!!
せっかく20番以内入れたのに…しょんぼり。

てなわけで
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若干違うかもしれないけれど、だいたいこんなんでしたかね。
ハンセン病療養所に行ってきた時のものです。
読んでいただけることもあろうかと載せてみます。
…長いですが(°∀°)
パネェ感じで長いですが(°∀°)

石川さんのお話

 ここ松丘保養園の患者さんの平均年齢は79歳です。私はこの園の中では一番若いもので、入所者自治会の会長をやっております。
今日はハンセン病の差別、偏見に至った原因と、それを正す方法を考えていただきたいと思います。
ハンセン病とは、有史以前から忌み嫌われてきた病です。
日本ではまず、1907年にらい予防法ができ、警察の力による強制隔離が進められたことから、恐ろしい伝染病であるという差別・偏見が植え付けられました。しかしこれは嘘だったのです。ハンセン病の原因であるらい菌は弱い菌で感染することも稀な上、死に至ることはまずないといえます。しかし、温度の低いところで分裂、増殖するので、衣服で隠せない末端の部分(口、目、鼻、耳、手足の指)に症状が出るために治癒しても目立つ後遺症が残りやすいのです。60年代には治療薬プロミンができ、治る病気となったものの偏見がなくならなかったのは目に見える後遺症のためでしょう。公共の福祉の名の下に、らい病の者を隔離施設から外に出さないという政策が続けられました。収容者を留める目的で結婚も認められていましたが、優生手術ということで男性は断種手術(精管を切る不妊治療)女性は妊娠した場合堕胎を強制させられるのでした。47年間に1400件の手術、中絶については3000件以上が行われていました。胎児の標本がホルマリン漬けにされ、さらには死者を病理解剖していたということでした。その解剖では
知人という理由で死亡した方の友人が立ち会わされるなど、ひどい人権侵害がおきていました。
また、院内通用券といって、お金は療養所内でのみ使えるお金に換金されていました。なので運良く施設から脱走できても無一文です。小遣いといえば患者作業といって重症患者の介護、看護や土木工事、さらには死亡者の火葬をすることでしかお金を稼げません。その上医療管理は不十分であり、これでは生き残っても病が重くなるだけだといわんばかりでした。脱出を防ぐため施設は土塁で囲まれ、アカシアやバラなどとげのある植物に囲まれていました。暴動を察知すると群馬県にある極寒の患者牢獄に入れられ、22件の獄死が確認されています。




ご本人の経験など
5歳 駅で母と祖母が泣きながら別れるのを目撃。後に祖母がハンセン病で松丘保養園に行っていたことがわかった。
9〜10歳 左耳、左目に部分的につねっても痛くない部分が出てくる。体に湿疹が出る。のちにらい菌のための斑紋だとわかる。
11歳 松丘保養園に検査入院、発病がわかる。その後東京の施設に連れて行かれる。若竹寮という子供用寮に入り、同い年の子供4人と優しい寮母さんと暮らす。母は一度だけ訪問に来た。職員が自分とふれた後すぐ消毒液で手を洗うのがつらかった。子供ながらこの環境と協調することでのみ自分が生きていけることがわかった。しかし周りの友達のおかげで温情や人の暖かさも知ることができた。
14歳 退院。高校卒業までは投薬を続ける。医師にうつらないから大丈夫といわれてもかわいらしい赤ちゃんに(免疫が弱いために)触れることがはばかられ、悲しい思いをする。
ハンセン病療養所では、生徒であるという以前に患者であるということを意識させられました。先生と生徒の関係よりも、健常者と病人という関係でしか接することが出来ず先生は白衣を着て自分に接していました。しかし、保養園の園長は予防着(白衣)を着ていなかったのです。そして彼は、真っ向に生きていきたいのなら、議長になれるくらい勉強しろ、と励ましてくださりました。とても希望の持てる言葉だったことを覚えています。

裁判について
平成13年、熊本地方裁判所は、らい予防法が人としての総体をくずすものだったということを認めました。その際の原告のお一人Kさんのお話をさせていただきます。
Kさんは小2でハンセン病を発症、祖母に大事に育てられたものの叔父などが施設に出すよう主張、泣く泣くわかれハンセン病患者特別列車(いわゆる『お召し列車』)に乗って施設へ向かった。施設で職員は、ものを指し示すのにピンセットを用い、真っ白な保護服を着て、呼ぶには部屋の外でブザーを押さなければならないようにしていた。とても仲の良かった祖母とはずっと手紙を送り合っていたが、ある日から手紙が来なくなり、結局彼女の死が一ヶ月後に知らされる。大人になり、夫婦舎へ行くと、3回も堕胎させられた。普通の人間として生き、普通の人間として生きていたのにこんな生活しか出来ないのがとても悔しかった。
平成八年、らい予防法廃止に関する法律、そして今年の6月にはハンセン病問題の解決の促進に関する法律が定められ、ハンセン病患者はやっと人間として認められるということになりました、しかし未だにすべての患者の苦しみがなくなったわけではありません。国民に伏せられてきた情報を開示すること、そして今後のハンセン病病棟の有効活用といった問題もあります。このことを知るのをきっかけに、皆さんにはハンセン病だけではなく他の感染症について関心を持っていただきたいと思います。

福西さんのお話
私からはハンセン病の歴史をお話したいと思います。ハンセン病は偏見と差別の歴史です。厚生労働省の若い役員にはそのようなことがわかっていないのです。ハンセン病はかつては「ライ病」と呼ばれ、後遺症、不治の病、皮膚の見た目などが原因で忌み嫌われてきました。しかし、治るようになってからでも偏見は終わりません。
その歴史は非常に古く、日本書紀にも記述があります。百済ノ白癩ノ者が庭師としてあつかわれていたということでした。ここでは差別は見られません。養老律令には体疾、廃疾、悪疾という障害者の分類があり、そのうちの悪疾がハンセン病にあたっていました。ただしこれは税金の量を調節するための戸籍上の表示でした。しかし、その100年後に出来た養老律令には、ハンセン病が伝染病であるという記述がみられる。また、仏教が布教されると、癩病は前世の重罪による宿罪、つまり前世の行いが悪かったためになるのだ、という考えが広まり、「嘘をつくと口が歪む」などと、説法に用いられるようにまでなりました。法華経は信じないと癩病になるとまで言われていました。百姓一揆、強訴の時にはこの約束を守らなかったらライになってもかまわない、という表現までされていました。今ライの人は、以前何か約束を破ったからだと言われていました。
1873年ハンセンがらい菌を発見し、1943年にプロミンの有効性がわかってハンセン病が治る病気となってからも差別は簡単には終わらず、今でも現に苦しんでいる人がいます。長い歴史の伏線を知り、しっかり見つめることでこの病の歴史がわかるはずです。長い歴史の中で続いてきた偏見は簡単にはかわりません。かといって年月によってこの病が風化してはなりません。将来医療従事者になるあなたたちにはぜひとも理解してほしいものです。今日の出会いを心に刻んでしっかり考えてほしいと思います。





感想
 ハンセン病についてはこの企画がなければずいぶん先までほとんど何も知らずにいたのではないかと思います。お二人のお話はとても貴重なもので、ぜひともたくさんの人に知ってもらいたい、と思いました。
 石川さんのお話では、当初はもっと過去に対しての怒りとか、不満をお話しするのかと思っていましたが、 施設で人々とふれあう中で生きるすべを見つけて、 苦しいながらも優しさを忘れずに生きてきた、というような感じで、こんな苦しい中でも感謝を忘れずにいられるなんて、実に心のきれいな方なんだなぁとつくづく思いました。 こういう方が偏見にまみれて差別されてきたかと思うと悲しいです。
 福西園長さんからのお話では、 そういえば日本史の学習中、資料集に「癩(ハンセン病のこと)」みたいな注釈を 見た記憶があったので、そういうことか、とうなずきながら聞いていました。 差別された、偏見を持たれた、というのは今らい菌が弱い菌だとわかったから はっきりと言えることであって、それがわかるまでには どうしようもなかったのだとわかりました。 私たちが考えるべきところは、治る病気だとわかってからの人々の対応についてなのですね。
 過去に起きてしまったことは戻せない、 そうなると私たちのすべきことは、アフターケアなのでしょう。 強制隔離が正しく、福祉のためになる事例だってもしかしたらあるかもしれない。 しかし隔離されてしまった人の人権を踏みにじることなく最後まで人として尊厳を失わせることはしてはならない。医療者としてやるべきことはそこにあるのでしょうか、などと考えました。
 今の自分に直接苦しんだ方のケアをするのはまず無理です。それでも、彼らが望むように、差別と偏見の歴史を知ってもらうことを手助けできるのではないかと思います。学生同士で話し合いができたらいいな、と考えています。そうすれば私一人でも弘前に行ってきた意味があるといえるでしょう。


あー長い。Wordでうpしたかったけどめんどくちゃくて。
お疲れさんでした。
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プロフィール
HN:
さー
性別:
女性
職業:
医学生兼自宅警備員
自己紹介:

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さーと申します。
片田舎の医学生です。
5年生とか、
試験の受け方を忘れそう
ポリクリ残るは
外科うろぎねあたり。


ちょっと詳しい自己紹介。


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